2005年11月17日

"Kill You"

先日、ラジオを聞いていると、ある歌の歌詞が耳に飛び込んできた。
俺がまだ赤ん坊の頃
お袋はいろんなキチガイじみたたことを俺に言った。
…親父は鬼だとか
…親父は俺の事を憎んでるとか…

でも、俺が少しでかくなった頃、一つの事に気がついた

それは、キチガイなのは俺のお袋のほうだという事

でも、俺には何も出来なかったし、何も言えなかった
何かを変えるという努力も出来なかった

何故ならそれが俺のお袋って人だったからさ
*以下省略…あまりにも言葉が下品すぎるので…

これはEminem(エミネム?)の「Kill You」という歌の冒頭なんだけど…

子供の世界って言うのは全て親に依存している。
大抵の場合、物や人生の価値観だの、事の善悪だのっていうのは
全て親から教わった事が正しいと信じて大人になっていく。

でも、大人になった子供が社会を見て、今まで正しいと思ってた事が社会では通用しない、
正しいと思ってた事が実は間違いだ、という事に気がついた時に、
一体何人の親が子供の言葉に耳を傾けられるだろうか?

…すこし、言い方が抽象的過ぎるかもしれないので、具体的な例をいくつか…

例えば父親が酒乱もしくは暴力を振るう家庭で育ったとする。
「そんな事すると、またお父さんがまた暴れるから…」と、母親は子供たちにひたすら我慢する事を教え込む。
「…あんたたちが居なかったら離婚できるのに…」と、子供たちに「生きている事の罪悪感」を教え込み、「いい子」でいる事の代償を求める。
そして「いい子」は「いい人」へと成長して社会へ出る。
「いい人」でいる事というのは、常に自分の言動をチェックする、という事。
自分が今日、誰に何を言ったか、何をしたか、常にチェックし、
反省点を見つけては罪悪感に陥る。
常に自分ばかりを見つめ続け、他人も常に自分をチェックしてると思い込む。
…だから、他人から受けた些細な言動に傷つく。
「いい人」でいる事が「生きている事の罪悪感」への埋め合わせへとなっている。

例えば母親が常に離婚再婚を繰り返していたとしよう。
…新しい父親が出来るたびに子供は父親になつく努力をする。
そうしていれば母親が自分を好きでいてくれるから。
でも、子供は知っている、「この人(養父)もいつか居なくなる」という事を。
でも、「慕う子供」を演じていないと、母親の結婚生活がうまくいかないと
頑なに信じる子供は浅はかな人間関係を学ぶ。
こんな子供たちが大人になって社会に出る、が他人を信じられない。
さらに、母親の結婚生活が崩壊した後、この子供はひたすら男の悪口を聞かされる。
表面上だけでも一度は慕った養父の悪口を聞かされる子供は母親の言葉を信じる。
…やがて、世の中の人間は全て悪いヤツ。自分の母親は良い人。と思い込み始める。
それはあえて言うなら全ての物事が「白か黒か」に判別され、
自分の意見は常に正しく、それ以外は全て間違いという結論に至る。
やがて、大人になり、結婚しても、この人は結婚相手のことを信じられない。
何故なら相手は自分とは違う考え方をするから。
…白でもなく黒でもなく、「中間」というものの存在を知らない。

例えば、表面上だけの結婚生活を頑なに守りぬく家庭で育ったとしよう。
この親は、前述の二つの例とは違う。…子供達に明らかな家庭の欠陥を見せない。
親は過激な喧嘩は絶対に子供の前でしない。
父親の言うことに母親は異議を申し立てたりしない。
母親は常に料亭並みの夕食を作り、父親は黙って食べる。
夫婦二人でたまに映画に行ったりする、でも、寝室を共にしない。
…そして子供は「感情的に結びつきのない」夫婦関係を学ぶ。
この「感情的に結びつきのない夫婦関係」から「心の触れ合わない人間関係」を習った子供は
やがて大人になり、浅い付き合いの友達を作り、その中から結婚相手を選ぶ。
結婚した子供に結婚相手との意見の食い違いが起きた時、
この子供の親は徹底的に本音で話し合う事を教えず、「女優になりなさい」と教えた。

さて、こんな環境で育った子供達がいつか、「自分が正しいと思う生き方」を見つけたとき、
一体何人の親が受け入れられるだろうか?
「自分は正しい!」と、子供の意見を却下する?
「そんなこと言った覚えはない!」としらばっくれる?
何人の親が自分の子供を「一人の人間」として見られるだろうか?「自分の分身」ではなく…

世の中に完璧なものなどない。完璧な親などいない。
皆、口ではそういうが本当にわかってる人が世の中に一体何人いるんだろう…

子供を育てる過程で間違いの一つや二つ(大抵の場合はもっと)あるのは当たり前。
肝心なのは、完璧な親になる事でも、自分を完璧な親だと思い込む事でもなく、
子供が親の間違いを指摘した時に、きちんと聞けるか、という事。
時が来た時に、「親」としてではなく「一人の人間として」子供に接する事が出来るか、という事。

子供が子供でいる間は「親」は絶対的な存在で、親は子供を支配、コントロールできるけど、
子供が大人になった時、親とは違う「自分の考え」を持ち始めた時、
親は子供をコントロールする事をやめ、子供の意見も一つの意見として尊重出来るかどうかによって、その子供の今後の人生が変わる、という事が理解できている親は一体どれだけ存在するのだろうか。
「親にたてつく子供の意見」ではなく「一人の人間として」の意見…

話しはEminemの歌に戻すが…
この歌の後半は(というか、歌のほとんどの部分でなんだけど)彼の母親に対して
ひたすら「殺してやる!」と歌っている。
母親に受け入れてもらえなかった「大人としての自分」が憎しみに変わって…

彼の母親は昨年(今年の初めだったかな?)彼の歌の歌詞をめぐって
実の子供であるEminemを訴えた。何億円という賠償金をめぐって…
その後、裁判がどうなったのかは知らないけど…

まあ、音楽というものは音を楽しむものであって分析するものではないので、
彼の歌の話しはこの辺で…
英語の歌詞はこちら
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2005年11月09日

台湾

ちょっと歴史の話し。

第二次世界大戦の頃、(正確には大戦勃発前)日本は中国、台湾、韓国と進出を続けました。
台湾人、韓国人たちから彼らの母国語を取り上げ、日本語を教え込ませ、
日本の離島として教育しました。
(中国でもそれが起こったのかどうか未確認です。勉強不足でスミマセン…)

さて、21世紀になった現在、中国、韓国の日本に対する姿勢に反して、台湾はとても友好的。
年輩の台湾人は今でも日本を話し、台湾の至る所に日本語の名前のついた場所があるとか。
若い子達は日本の音楽を聴き、日本のファッション雑誌を読み、
日本のテレビドラマや映画を見るんだそうな。
お金を貯めては東京、北海道、沖縄と旅行して…。

日本人がカタカナ英語を日常会話の中で使うように、
台湾人たちもテレビ、映画、音楽から日本語を拾い、日常会話の中で使う。
「ハイ」
「ガンバッテ」
「アイシテルヨ」
「オハヨ」
「ジャーネ」
「マタネ」…etc.

先日、我が家の台湾人二人に「どうして台湾は中国や韓国のように日本を憎んでないの?」と尋ねてみた。
すると、「確かに日本は私たちの言葉を取り上げたし、
日本の文化を押し付けようとしたけど…
…今でも一部の人たちは日本嫌いなんだけど…
日本の兵隊たちは台湾人にずいぶん厳しかったみたいだし…
でもね、日本が台湾を支配下に置いてから台湾はどんどん良くなっていったの。
今の台湾は日本のおかげで台湾としていられるの。
もし日本が台湾を支配しなかったら、今でもきっと台湾は中国の一部だったと思う。」と。

それをきいて思い出したことが一つ。
数年前我が家にいた台湾人の生徒が、ある日電話で台湾にいるおばあちゃんと話をしていた。
しばらくすると生徒が「mama、うちのおばあちゃんがmamaと話ししたいって!」と私に電話を渡した。
受話器を耳に当て、恐る恐る「Hello?」と言うと、
「もしもし?mamaですか?うちの孫がいつも大変お世話になっております。
なんだか色々良くして頂いてるみたいで…有難う御座います。云々…」
そして最後に「わがままな孫ですがこれからもよろしくお願いします。
厳しくしてやってくださいね」と。
あまりにも悠長な日本語と100%好意的な電話の対応に驚いた私に、その台湾人の生徒は
「うちのおばあちゃんね、私に『日本語習え、日本語習え』ってずっと言ってるの。
だから英語がちゃんと話せるようになったら次は日本語習うんだ。」と言った。

他のアジア人たちから攻撃されることの多いこの環境で、
台湾人たちとだけは緊迫した空気を感じることなく普通に会話が出来る。

そのことに「ほっ」とすると同時に恨まれていないことに感謝する。あり難い、と思う。
そして、彼女たちだけは日本人を日本人と見てくれる。
「中国人」でもなく「敵」でもなく…。


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2005年10月08日

書く「気」がなくなった…のでしばらく書かなかった。
そしたらだんだん書きたくなってきた。

作る「気」がなくなったとき、作るのを少しやめてみた。
そしたらだんだん作りたくなってきた。

頑張りすぎると疲れる。
自分じゃ気がつかないうちにエネルギーを使い果たしてる、
でもエネルギーがないことに気がつかない。
「気」ばっかりがあせってくる。

やる気っていうのは自分にエネルギーがある時にしか沸いてこない。

やる気が出ないっていうのは疲れてる証拠。

そんな時はゆっくり休もう。
気持ちはちょっとあせるかもしれないけど、じれったく感じるかもしれないけど、
自分のためにのんびりと時間をすごそう。

そのうちにいろんな「気」が湧いてくる。
posted by ねこmama at 06:11| ロサンゼルス ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | mamaの部屋 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年09月17日

仲間

アメリカに限らず、外国で生活してる人は皆感じる事なんじゃないかと思うんだけど…

日本国内で日本人に囲まれて生活をしていると、
付き合う人たちって趣味が同じだったり、考え方が似てたり、
何かしら共通点があって付き合う人を選んでると思う。
…少なくとも私が日本にいたときはそうだった。

ところが、外国で生活をしてみると、そんな風にはなかなかならない。
特に、現地の言葉が習得できないうちはとかく付き合いは日本人だけ、ということになる。
日本人どおし仲良くやろうや!と。
「日本人」であるということが共通項目になっていて、その他には何の共通点もない人たち。

私がこちらに来た時は英語を話すのも書くのもままならず、
話す相手といえば、語学学校で知り合った日本人たち。
私とは生き方も、考え方も、価値観も何もかもまったく違う人たち。でも日本人。
それは、日本にいたときには想像もしなかった「私の世界の外の人たち」との付き合いだった。

…それはまるで、目からうろこの世界だった。
…それはまるで、その世界が「外国」だった。
アメリカが私にとっての「外国」なんじゃなくて、日本人が私にとっての「外人」だった。

あれから数年。
私の英語もなんとかアメリカ人に通用するようになり、
日本語に頼らなくても他人と会話が出来るようになった。

…「日本人」という共通点じゃなくて、自分の趣味、考え方、生き方、価値観が似てる人たちと言葉の壁を越えて付き合えるようになった。

今振り返ってみると、私が日本で築いてきた人間関係があったからこそ
今の私がここにいるんだと思う。
日本で築いた人間関係に満足していたから、
それを土台にして、こちらでの人間関係を築けるようになったんだと思う。

もしも日本での私の人間関係が不安定だったら、
こちらに来てからもきっと誰と付き合っていいのか、
どんな人と一緒にいれば自分が落ち着けるのかも分からずに、
フラフラと無駄な時間をすごしたんじゃないかな?

数年の間にいろんな仲間が出来た。
主人と出会ってからは、仲間の数ももっと増えた。
日本語の通じない仲間、だけどいい奴等。

でも、自分が楽しんでる時、ふっと、「ここにアイツがいたらなぁ…」と日本にいる友達を思い出す。

きれいな景色を見た瞬間、「これをあの子に見せたら感動するだろうなぁ…」と思う。

落ち込んでる時、「ヤツに相談したらなんていうかな…」と考える。

私がこう思う人達はみんな日本にいる。

…きっと、何年経ってもわたしのこの「思う」気持ちって変わんないんだろうな。
私がこの先どこで生活をしようと、何語を話していようと、きっとこれは変わらないんだろうな。
日本にいる人たちを思う気持ち、日本を思う気持ち。

posted by ねこmama at 14:54| ロサンゼルス ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | mamaの部屋 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年08月31日

日本人って…??

例えばフランス出身の人はフランス人でもあるけど、大まかに言うとヨーロッパ人ということになる。

例えばチリ出身の人はチリ人でもあるけど、南米人でもある。

そこで疑問なのが日本人。

確か学校では日本人はアジア人だと習った気がする。

ところがこちらに来てからいろいろな疑問が湧いてきた。
何故なら、こちらの人が「アジア人」と言う時、
それは100%に近い確率で中国人のことを言っているからだ。

「アジア人は中国人だけじゃない!!」と今の今まで豪語してきた私だが…

先日、目からうろこが落ちる思いをした。
それは主人の友人の言葉…

「日本人はサ、アジア人じゃないよ。
だって、日本はアジア大陸上には存在しないでしょ?!日本は島国じゃない。
だから日本人はアジア人じゃなくて太平洋諸島人(Pacific Islander)だよ。」

…そっか…
posted by ねこmama at 03:54| ロサンゼルス 🌁| Comment(2) | TrackBack(0) | mamaの部屋 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年07月31日

満足できない人達

世の中には「満足できない人達」というのがいる。
何に対しても満足できない人達なのである。

例えば、満足できない亭主。
奥さんもいて子供もいて、「自分の家族」と呼べるものがあるのに、
それでは満足できない。
自分の家族から愛されているだけでは満足できないのである。
むしろ、「自分が愛されている」という自覚がないのである。

そして、大枚はたいて部下におごったりする。
喜ばれるともっとおごりたくなる。
度重なる出費に自分の小遣いでは資金が間に合わなくなってくる。
そして借金をするようになる。

こういう人は他人の本心が見えない、読めない。
だから自分が家族から愛されているかどうかも分からない。
常に「自分が愛されているかどうか」に執着していて世の中が見えない。
実際部下たちは「やった!ただ飯だ!」くらいにしか思ってないことに気がつかない。
…部下たちは「ただ飯」を愛してるのであって、この亭主を愛している訳ではない。
…実際にこの亭主を愛してるのは、「こんな亭主だけど仕方ないわね」と一緒に暮らしている家族なのだが…

もしこの亭主が自分の家族から受ける愛情に満足していたとしたらどうだろう。
他人様の空きっ腹などどうでもよくなる。
部下たちと酔いつぶれてる時間より、自分の子供と一緒に寝たい、と思うだろう。奥さんとたまには一緒に飲もう、と思うだろう。

才能のある独身女性がいたとしよう。
才能を磨くチャンスにも恵まれ、それを支援してくれる人達に囲まれているのに、満足できない。
「自分には才能があり、それを生かす機会にも恵まれている」というだけでは満足できないのである。
自分に備わった能力だけでは自分を満足させられないのである。

そして、ないものねだりを始める。
結婚してる女性を見てはうらやましがり、いずれそれは妬みになる。
子供のいる家族を見ては「子供なんか嫌い」といい、
専業主婦達を「退屈な人生」と言い切る。…全て妬みから来るものである。

やがて人はこの女性から離れていく。
それがまた彼女の妬みの原因になるのだが。

もし彼女が持っている才能と恵まれたチャンスに満足していたらどうだろう。
生き生きと才能を輝かせ仕事に没頭し、その魅力に惹かれる男性が現れることだろう。
妬みなどなく、すがすがしく生活している彼女はきっと素敵な女性になるであろう。

浮気をする男性、子離れできない親なども満足できない人達の仲間に入る。

浮気が発覚すると「寂しかった…」などという。

当に独立した子供が「自分を見てくれない」と寂しくなる。なかには子供を脅迫する親までいる。

…こういう人達と付き合ってると疲れる。
与えても、与えても当の本人たちは満足しない。「もっと!」と要求してくる。
与えるほうにも限界がある、というのに気づかないのが「満足できない人達」の特徴である。
彼らは「自分が愛されているか」だけが頭にあって他人のことはどうでもいい人達なのだ。

…こういう人達に自分のエネルギーを費やすのをやめて自分のために使ってみよう。
posted by ねこmama at 00:00| ロサンゼルス ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | mamaの部屋 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年07月21日

親切り

…あれは確か小学校2年生の時だったと思う。
国語の時間に「親切」という漢字を教わった。

先生が黒板に「親切」と漢字で書くと、
「へぇー、親切って「親を切る」って書くんだぁー。」と、誰に言うでもなく呟いた私。
それを聞きつけた先生は私のところにやってきて、
「パシッ!」と頭を一発たたかれた。
「そんなことを言うもんじゃない!」と。

…この歳になって、たまにその時のことを思い出す。
「私、間違ってなかったじゃない?!」と。

親っていうのは、本人たちがどう思おうと重大な影響を子供たちにもたらす。
第二次反抗期を終えた子供たちは
「もう親離れは済んだ。自分のことは自分で決められる」と思い込んでいる。一人前の大人になった」と。
実際にそうだろうか?

反抗期というのは独立心の芽生えと共に起こる。
第一次反抗期では、今まで手取り足取りで親に何でもやってもらっていた幼児が「(動作に対して)自分でやる!」という要求、主張をするようになる。
例えば、ご飯を口にもっていって食べさせてあげようとすると、
「じぶんでぇ!(する)」と、かたくなに口を閉じて食事を受け付けないとか、何かにつけ、なんでも自分でやりたがる。

第二次反抗期では「自分で決める!」という主張をするようになる。
だから、親からの意見が「うるさいなぁ…」で片付けられてしまう。

さて、果たして第二次反抗期を追えた子供たちは親離れが済んで、すっかり親から「独立」出来たのだろうか?

教科書で語っている第一次反抗期、第二次反抗期というのは
要するに、親から見える子供の「反抗期」なだけであって
子供が一人前の大人として独立した、という訳ではない。

第二次反抗期も終わって二十歳も過ぎて、学校も卒業して仕事もして、
経済的に親からの援助がなくても生活できるようになって、
「私は完璧に親から独立しました。もう一人前の大人です。自分のことは自分で決められます。」と思ったら大間違いだ。

長年にわたる親からの影響というのは
親から言葉で「どうしろ、こうしろ…」と直接言われなくても
主語のない(誰から言われてるという意識がなく)フラッシュバックとなって頭の中で再現される。
そして、「…するべき」「…するべきじゃない」という、
親の影響から引き出された物事に対する判断レベルをじぶんに当てはめる。

やがて、自分の「こうしたい!」という思いと「…でも,するべきじゃない。」という考えに挟まれジレンマに陥る。

「こうしたい!」と心の底から沸いてくる自分の気持ちと
「…するべき」「…するべきじゃない」という親からの影響によって自分の中に植えつけられた概念を切り離して考えられるようになった時、
はじめて子供だった自分が大人へと成長した、といえるのではないだろうか。

もしかしたらそれは二十歳で起こるかもしれない。
もしかしたら三十歳になって起こるかもしれない。
四十歳かもしれないし、六十歳かもしれない。
なかには一生気づかずに人生を終わってしまう人もいるかもしれない。

ただ私の思うことは、親から自分を切り離して考えられるようになった時、はじめて「大人になった」と言えるんじゃないかなぁ、ということ。

自分の気持ちを大切に出来るようになって、はじめて人を大切に出来るようになるんじゃないかなぁ、ということ。

「親」を「切」ってはじめて他人に優しくなれるんじゃないかなぁ、ということ。

そして、一番大事なのは、「私は間違ってなかったぞ、先生!」ということ。
posted by ねこmama at 00:00| ロサンゼルス 🌁| Comment(0) | TrackBack(0) | mamaの部屋 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年06月23日

協調性

昔、「協調性」について考えたことがある。一体全体なんだろう…と。

…「協調」することと「同調」することを混同している人が多くないだろうか?
「協調」とは;相違点、利害などを譲り合い、共通の目標に向かって歩み寄ること。

(新明解国語辞典より)


…人がやっているのと同じことをするのが協調性ではない。
それはただ単に「同調」しているだけのこと。

協調性とは自分の個性も大事にしつつ、同じ、もしくは似た目的を持った人達と目標に向かって助け合い、時には衝突しつつ、それでも和解しながら進んでいくこと。
自分のことも大事にしながら、尚且つ仲間も大事にするということ。

同調とは自分の意見をひたすら殺し続け、自分がどう思おうと何を感じようと他者に迎合するということ。
自分を騙し、更には相手にも「自分を見せない」ということで騙し続ける、ということ。

…自分の気持ちすら大切に出来ない人に、他人の気持ちを思いやるなんていうことが出来るだろうか。

自分の素直な気持ちを大切に毎日を生きていきたい、と思う。
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2005年06月19日

猫の心理学

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最年長のハナ子。
この夏に16歳になります。
…でもまだ若く見えるでしょ?!

我が家には、年寄り猫(16歳)から生後7ヶ月の子猫、
ダイエットしないといけない猫、栄養取らないといけない猫等々
いろんな状態の猫たちがいるので、いろんな種類のご飯を買ってきてあります。
ところが皆、他の猫のご飯を欲しがって、与えられたご飯を食べないのです。

年寄り猫のハナ子はももの栄養たっぷり(ハナ子には過剰)のご飯を欲しがり、
ももはハナ子のご飯を欲しがる。

ハナ子がもものご飯を欲しがるのはなんとなく分かる気がする。
きっと、若者のご飯のほうが味がいいのだろう。
でもナンデももがハナ子のご飯を欲しがる??

人間にたとえて言うと健康な若者が「病院食を食べたい」といっているのと同じことだ。


それは何かが違う…


そっか、他人(他猫?)が食べてるものが欲しいだけなんだ。
自分が何を与えられてるかじゃなくて、自分が何を与えられてないか、他猫が何を与えられてるか、なんだ。

「人のものを欲しがる」ってきっと動物としての本能なんだと思う。

子供が人のおもちゃ欲しがったりするのと一緒。

「他人が持ってるものが欲しい、たとえ自分がどんなにいい物を持っていても」

…隣の芝生は青く見えるって言うヤツ。
posted by ねこmama at 00:00| ロサンゼルス 🌁| Comment(0) | TrackBack(0) | mamaの部屋 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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